2003年のある春の日、近所の吉田記念病院の花壇に小さな看板(高さ約160cm幅55cm、写真右)を見つけました。それには
「白石村医療発祥の地」と書かれていました。
それが吉田記念病院と何か関係があるのか、と興味がわき、白石区役所に聞きに行きました。
話を聞いて、この看板は白石区にまつわる歴史を語る34個のうちのひとつであること、白石区役所が、かつての白石村から現在の白石にいたるまでを「白石歴しるべ」として記録して冊子にしていることを知りました。
そこで早速、「白石歴しるべ」のこの項を紐解いてみると、この看板のあった吉田記念病院の初代院長だった吉田廣氏が、明治の開村以来無医村だったこの地に、昭和20年、初めて「白石村診療所」を開いたことがわかりました。
吉田廣先生は昭和26年、57歳という若さで亡くなり、息子の信先生があとを継ぎ、現在は3代目となって、吉田記念病院となっています。
白石に初めて診療所を開いた先生はいったいどんなお医者さんだったのか、興味がつきず、当時を知る方に話を聞いてみました。
●70歳代のご夫妻のお話
「先生は身体の大きな方で、ハンサムな先生でした。先生が白石に開業する前、大通に診療所を構えていたときも、白石では先生に往診をお願いする人々も多く、うちにも来て家族を診て頂きました」
「昔(昭和30年ぐらいまで)は、病院の近くには住宅もまばらで、牛屋と水田ばかり。春には馬糞風(ばふんかぜ)に泣かされました。嫌な顔ひとつせずに、往診はよくしていただいたものですよ。
『いいんだよ〜』と気軽に往診に来てくださり、それが一番忘れられません」
●70歳代の女性のお話
「 先生は、とつとつとした印象の先生でした。狂言・謡(うた)など趣味も楽しみ、お酒も少したしなみ、いつも下駄を履いていた事を覚えています。よく往診をしてもらいに患者の家族が夏は自転車、冬は場そりで先生を迎えに来ていました」
筆者自身の思い出ですが、小さい頃に木枯らしの吹く季節、中心街へ母と出掛けるのに吉田病院のバス待合所でバスを待っていた微かな記憶があります。
「白石歴しるべ」には、このバス待合所が写った当時の写真がありました(pdf)。この写真を見た時、忘れていたあの時の感触が蘇ったような気がしました。
このバス停は、昭和30年ごろから40年ごろ、病院の前にバス停があり、バスを待つ人が寒くないようにと二代目院長の信先生が病院の敷地内に大工さんに頼んで建ててもらったものだと、信先生の娘さんで、三代目の現院長の奥様が教えてくれました。
今はバス停の位置も少し移動し、写真にある待合所はありません。
いろいろな方のお話を聞き、昔の地域医療のご苦労を少し理解出来たような気がします。ありがとうございました。
2005年1月19日・
とりこ(HNです) |